紀美来とは

読み返し涙が溢れる贈り物

贈り文字書家/紀美来(松原紀美子)

読み返し涙が溢れる贈り物「贈り文字」。大勢ではなく、たったひとりだけ。目の前にいる、かけがえのない人と相思相愛の関係をつくる書道。

伯母の死が、キッカケ。

”贈り文字”を始めたのは、伯母の死がキッカケでした。私は6才で書をはじめましたが、資格や賞をいただく時より、おばあちゃんや伯母に手紙を書いて、喜んでもらう方が「うれしい」と感じる子でした。よく会いにも行きましたが、私が社会人になり、実家からも遠く離れて暮らすようになって、会うことは年に1.2度になりました。

私が34才になったとき、伯母が入院をしました。初めての入院だったので心配しましたが、「死ぬような話じゃないし、会社休んでくるほどのことでもない」と母に聞き、ホッとしました。ところが上司に「俺みたいに、相手が口が聞けなくなったり、死んでから会いに行っても遅いよ。一生後悔する」と注意され、翌日、有休をとり会いに行くことにしました。

その前日。私は伯母と、また一緒に温泉に行ったり、ご飯に行けるように”遊”という字を書き、お互いの名前を添えて額に入れました。それを病室へ持っていくと、伯母は「いい字だね」「お金出してあげるから、掛け軸作ったらいいよ」「あと、あげたい着物がある」などなど会話は尽きず。やっぱり会いに来てよかったと思いました。ところが、帰るとき、伯母の口からとんでもない言葉を聞き、私は号泣してしまいました。

伯母が最期に伝えてきた、その言葉とは。「あのな、あのな…、おまえのおかげでいい人生だった」でした。「なんでお別れみたいなこと言うの?」私は涙がとまりませんでした。しかし、その1週間後に伯母は天国へ旅立ちました。

伯母がくれた、書家としての命の花。

じつは当時、私は泣けて泣けて仕方ない日々を過ごしていました。32才のときに「あなたの体では赤ちゃんが産めません」と宣告をされ、4年の間、治療と手術を繰り返していたのです。 

 

 

恋愛も結婚もおざなりにし、シゴトばかりしてた自分への後悔。先が見えない、真っ暗な毎日に耐える日々。だけど、私がこんなに塞いでる時も、相手を想って書いた手紙は読み返され、誰かのイイ人生の一部になれたことを、伯母が教えてくれました。 

 

 

そして、その教えは私の生きる気力に変わり「この人生を、もう一度ちゃんと咲かせたい。」と、いう決意に変わりました。人は、大事な人から贈られる言葉ひとつで、こんなにも救われるのかと身を持って実感。

 

こうして、目の前の人をとことん大切にする人を手書きでサポートする、贈り文字書家キミクルは誕生しました。

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kimicle

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お客さまの想いを預かり、読み返し涙が溢れる贈り物をつくっています。《贈り文字書家 紀美来(キミクル)です。この活動を通して、1人でも多くの方が、愛する人に「おまえのおかげでいい人生だった」と言われる生き方をお手伝いができたらと思っています。

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