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生きる力が遊びながらミニツク「 防災書道 」

生きるチカラが遊びながらミニツク。をテーマに、
書道家キミクル が手がける防災(防犯)プロジェクト。

「クラクションを鳴らすことを、知っていればーー」

2021年。夏の炎天下、保育園のバスに閉じこめられた園児のニュース。もう園長ですら信用できないこの時代に、親たちはSNSでシェアをはじめた。

< 車に閉じこめられときは、クラクションを鳴らすことを、子供たちに教えてあげて。>

それを読んで、さっそく私も車で移動する時、6才の息子と話をした。この夏、どんな事件があったか。同じことが起きても、クラクション鳴らすと外の人に助けを呼べることなど。そして、実際クラクションを鳴らして理解できたか確認すると、予想外の返事があった。

「 わかったよ。でも怖いから、もうこの話やめてね 」

・・・子どもは、ウンコの話は大好きだけど、誰かが悲惨な目にあったは聞きたくない。夢に見るんだそうだ。大人だって同じ。人の重くて深刻な話は、免許の書き換えの時に見せられる教習ビデオで充分。日常生活では「この一口が、デブの元なんだよね。でも食べちゃう♪」なんて、はしゃいでいたい。その代表作が、この私キミクル。

 

そんなキミクルの、人生で1番古い記憶は、「どうしたの?」 と、知らないおじさんから声をかけられた5才の秋から始まる。お母さんとはぐれ、迷子になったあの日。「 おかあさーん、おかあさーん 」泣きながら叫んでいると、白い1台の車がスーッと横に停まった。

 

「 どうしたの? 」 知らないおじさんがやさしく声をかけてきた。 「 お母さんがいない 」 そう伝えると、そのおじさんは 「 車に乗って 」 と言いながら手招きをしてきた。出会って、数秒の出来事だった。ドアがバンとしまり、走りだす車。窓から見える景色が変わる。ふと、どんどんお母さんから離れてしまうコト。お母さんが私を見つけれなくなってしまうコト。もうお母さんに会えなくなるかもしれないコト。いろんな思いがこみあげて、止まっていた涙がまた一気に溢れていく「おかあーさんっ!おかあーさんっ!おかあーさんっ!」

 

あれから40年。今も、あのおじさんが何をしたかったのかわからない。

 

路上で泣いてる女の子を見つける →  車に乗せて警察に届けようとしたけど →  泣かれたので → 走行途中の路上でおろし → 去ってみた。 (ん?まともな大人が置き去りってできるのかな)

あるいは、路上で、誘拐しやすい女の子を見つける →  車に乗せたけど → ギャン泣きされて → 怖じけずき →  路上に置き捨て→ 逃走中(誘拐未遂!?)

ただ今、ひとつだけハッキリしてることがある。それは、子供に数回ダメだよなんて言ったくらいじゃ、防犯・防災は身につかないってコト。継続じゃなく、持続的に、親は知恵のお守りを子ども持たせる必要があるーー。それも、年齢にあった新しいものに変えながら。

 

手書きしたモノは、驚くほど忘れにくい

さて、40年前。キミクルが通っていた保育園は、園児に自宅の電話番号を丸暗記させる時間をつくってた。私も10桁の数字を覚えたけど、当時の番号を、今もスラスラ言えてしまう。

いろんなパスワードを忘れ
日々イライラするのに
あれだけは忘れない不思議。

じつは、パソコンが普及したこの時代。事実を書きとめるにはパソコンの方が早いし便利だけど、想いや概念を書きとめるとき、手書きの方が圧倒的に記憶に残るという。忘れっぽいキミクルが、当時の電話番号を忘れていないのも、身を守る大切な番号だという想いを受けながら、手で書いていたから。それだと、とても腑におちる検証結果だった。

働く親は、どうしても子供といっしょにいる時間は短くなる。そのなかで、どれだけ濃いコミニュケーションをとっていけるか。ひとりのとき、知恵のある行動がとれる子を育てていけるか。ハッキリ言って、仕事がんばれるのはわが子が居てこそ。

 

 

 

??さいごに。

私が大人になるまで、この連れ去り事件の話を公にすることは控えてきた理由は2つある。

1つは、私が助かった側だったコト。

テレビでは助からなかった側の子どもたち、家族やご遺族が報道され、想像もつかないほどのツライ思いに耐えている。

裁判や判決、長い時間かけても取りかえしがつかない過去。そんな中、たまたま無傷で帰ってきた私の話は、いろんな方への配慮に欠けるものと感じてきた。

もう1つは、
私ですら好奇な目で見られたこと。連れ去りの話を人にしたとき、人が知りたいのはココだった。「 車の中で、何かされた? 」。心配というより知らない世界を覗き見したい、好奇心いっぱいの人がいる残酷な社会。

「 されてないと思う、覚えてないし 」
「 いや、なにもないわないでしょ。人間、ほんとに辛い記憶があると忘れるっていうし」

なんかあった方が、よかったような悪ノリ。自分は安全地帯にいる側、同情できる側。家に帰れば、平気でご飯をバグバク食べて、今日もいい1日だとグッスリ寝れる側。

こういう人が少なからずいたから。ギリギリ助かった側の私が、安全地帯側の私が、連れ去りの話を口にすることは、軽すぎて言うべきではないコトだと思ってた。

ただ、いつも思うことがあった。防災・防犯を語る側は、いつも切ない。「自分たちのようにならないで」と涙ながらの訴えが、あちこちニュースで飛び交ううちに、笑えるYouTubeが見たくなる。

 

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